ぶらり歩き

25. 隅田川七福神巡り                                 平成23年4月9日

 大学時代の友人5人と2月のウォーキングを終えた時に、お花見を兼ねて隅田川七福神巡りを計画した。しかし、3月11日に発生した東日本大震災のあまりに甚大な津波被害、そして未だに危機的状態が続く原発事故を目の当たりにして、各種行事を自粛する動きが全国的に広がり、決行を迷ったが、こんなときこそ元気に歩いて、鬱積した沈んだ気分を振り払うことに相談がまとまり、隅田川七福神を巡ることになった。

 14時に東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅に集合し、幸いにも少雨の予報が外れ、多少風が強いものの傘をさすこともなく歩くことが出来る。

 まず、鐘ヶ淵駅の近くにある七福神の毘沙門天を祀る多聞寺を訪ねる。弘法大師作と伝えられる毘沙門天を本尊とする多聞寺の創建は、江戸時代より古く、由緒ある寺である。境内の茅葺の山門(写真1)は墨田区の文化財に指定されており、元々は慶安2年(1649年)に創建されたが、その後火災で焼失し、寺に残る過去帳の記録から享和3年(1803年)前には再建されたと推定されている。今日では茅の入手、屋根葺き技術の継承が困難となり、茅葺屋根をほとんど見る機会がなくなったが、この山門は手入れが行き届き、きれいに保存されている。
 境内には正徳3年(1713年)〜享保3年(1719年)にかけて制作された六地蔵(写真2)が祀られている。六地蔵は安山岩の4つの石から構成され、下2段は方形の台石、三段目は蓮台、その上に高さ60cmの地蔵坐像が安置されている。これまで多くの六地蔵を見てきたが、立派な作りに属する像といえる。因みに、この六地蔵像は墨田区の文化財に登録されている。
 また、昭和20年3月10日(1945年)の東京大空襲によって被災した浅草国際劇場の屋根の鉄骨(写真3)が展示され、墨田地域の悲しい歴史を語り継いでいる。 

写真1 多聞寺 山門 写真2 多聞寺 六地蔵  写真3 多聞寺 東京空襲被災の鉄骨



 
 次に、隅田川沿いに整備された、地震による火災の拡大を防ぐことを目的として開発された都営白鬚東アパートを左に見ながら、東白鬚公園の中を歩く。現在、東北地方では想定外といわれる東日本大震災の災害に対して復旧・復興作業が続いているが、東京で心配される関東大震災級の地震を想定し、特に地震火災に対処するために、防火壁の役割を担う、13階建て(高さ40m)の白鬚東アパート群は1.2kmの長さにわたり建っており、頼もしくも見えるが、計画は1980年代のものであり、進化する災害に対して陳腐化していないか検証することも忘れていけない。
 
 隅田川畔に建つ木母寺(もくぼじ)の境内には、謡曲「隅田川」で有名な、人買いによってこの地に連れて来られ、命を落とした梅若丸を弔って建立された石碑とともに、三遊亭円朝が明治22年(1889年)に建立した三遊塚と彫られた石碑(写真4)が建っている。この碑の題字は山岡鉄舟、銘文は高橋泥舟によるという。三遊亭円朝が「幕末の三舟」といわれた鉄舟と泥舟と交流があったことが窺えて、興味深い石碑である。因みに、三舟のもうひとりは勝海舟である。

 隅田川に沿って通る墨提通りを横切り、七福神の寿老神を祭る白鬚神社(写真5)に立ち寄る。隅田川七福神は江戸時代の文化文政年代に向島百花園に集まった文人達が考え出したものであるが、どうしても寿老神が見つからず困っていたが、白鬚神社の白鬚大明神は白い鬚をもつ老人であろうと考えて、これを寿老神としたという。こういう融通性のある知恵は面白い。白鬚神社の近くに福禄寿を祭った向島百花園(写真6)がある。文化2年(1805年)に骨董商の佐原鞠塢(さはらきくう)が開園し、当時は東海道の大森にある梅屋敷と同じように梅の木を植えたそうで、新梅屋敷と呼ばれたという。

写真4 木母寺 三遊塚 写真5 白髭神社 写真6 向島百花園




 現在は向島百花園は都営の庭園となっているが、見所は春のと秋のということで、梅の時期は過ぎてしまい、園内に彩りは少ないが、そんな中、黄色の花をつけたミツマタ(写真7)が美しい。ミツマタの樹皮はこうぞとともに、和紙の原料となる。
 江戸時代の向島は江戸の郊外で農村であったようであるが、商家の別邸などが建つ地区でもあった。特に、11代将軍徳川家斉の側室に娘を送り、権勢をほしいままにした幕臣中野碩翁が贅を尽くして建てた別邸は有名である。この別邸の地に明治の政商・大倉喜八郎が別邸を設けたという。

 墨堤通り沿いには、草もち、団子を売る店が並んでいる。少し疲れたこともあり、買い求めようと店を覗くと、どの店も列をなしてお客が並んでおり、諦める。
 墨堤通りを歩くと、現在建設中の東京スカイツリーを場所場所で姿を変えて見ることが出でき、楽しい。池波正太郎の描く時代小説に出てくる長命寺桜もちの方が有名であるが、弁財天を祭る長命寺(写真8)、そのとなりに建つ布袋尊を祭る弘福寺(写真9)を訪ねる。長命寺の弁財天は琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)系の弁財天といわれる。弘福寺は京都の黄檗宗大本山・萬福寺の末寺ということで、布袋尊を本尊としていることもうなづける。弘福寺は萬福寺ほどではないが、本堂は禅宗らしい重厚な建物となっている。

写真7 向島百花園 ミツマタ 写真8 長命寺 本堂 写真9 弘福寺 本堂




  弘福寺から隅田川沿いに少し歩いて行くと、大国神恵比寿神を祭った三囲(みめぐり)神社(写真10)がある。この神社は小説で取り上げられるくらいに江戸で有名な神社であるが、旧財閥の三井家とのつながりが強い。境内には、宝永3年(1707年)に藤堂家が奉納した燈篭三角鳥居等がある。

 三囲神社から隅田川の土手に出ると、両岸に植えられた桜(写真11)は満開に咲き誇っているが、東日本大震災の影響で自粛ムードが強いために、見物客が少ないのは勿体無い気がしないでもない。また満開の桜越しに3月18日に最高高さ634mまで建ち上がった東京スカイツリー(写真12)の雄姿を垣間見ることができた。

 東日本大震災の復旧・復興作業が続くなか、花見も兼ねた隅田川七福神巡るウォーキングは、アサヒビールのビアレントランでのビール、浅草駅近くの神谷バーのデンキブランで打ち上げとなった。熟年6人、大震災で苦しむ被災者と福島原発の事故処理に思いを馳せ、がんばれ日本を念じつつ、それぞれの心に沈殿した鬱憤を少しは払うことがてきた。明日からは気分一新、熟年パワーを発揮していきたい。

写真10 三囲神社 写真11 隅田川 桜 写真12 建設中の東京スカイツリー



 

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